自分が開墾するのではなく、皆さんに開墾してもらっていたこと/CONTE-SAPPORO振返り映像の制作現場より

ただいまCONTE-SAPPOROを振りかえり中です

「CONTE-SAPPORO Dance Centerとは何だったのか」

このテーマを題材にただいま振り返り映像を制作しており、様々な方にインタビューをさせていただいております。
それで今日も撮影させてもらってきたのですが、お話を聞く中でいろいろな気づきがありました。

ちなみに写真はたまたま発見して、これいい写真だなと思って貼らせていただきました。
CONTE前期はコミュニティーとして存在していた様子が見えてきます。
雪雄子さんの公演を開催したときの打ち上げの写真ですね。

目的は作品を作ることではなく、環境をつくること

CONTEは作品を作ることや公演を実施することが目的の団体ではなく、あくまでもシーンの環境をつくること・整えることが目的でした。
ただ、環境整備の一環として作品を作ったり上演したりすることがありました。

主催・企画してきた自主公演は毎回作品テーマを決める前にコンセプトを立て、そのコンセプトに沿った作品を振付家や演出家に作ってもらったり、もしくは自分たちで作ってきました。
例えば・・・


『ダンスと科学』
は「いろいろな人や分野を巻き込むこと」と「コンテンポラリーダンスでも舞踏でもなく、SFダンス作品」にすること。

Field note『Room Service』
は「若手ダンサーにロングラン公演を経験してもらうこと」、「こどもを対象においたダンス作品」であること。

近代文学演舞『地獄変』
は「演劇とダンスのどちらでもなく、そのどちらでもある文学作品」というよくわからないテーマが起点でした。

カンマ計画『愛について』
という作品は脱コンテンポラリーダンスを掲げて「ラブストーリーであること」「絵画のような作品をつくること」

『ディスコミュニケーションディスコ』
は、「コメディ作品であること」「体と言葉、人と人のディスコミュニケーションを創作のベースとすること」


などなど、作品そのものではなく、作品のひとつ外側の「なぜ、それをやるのか?」「札幌にどういう作風が足りないのか」ということに重きを置いてきました。

コンセプトを重視してきた理由

その理由というのは、

●札幌では鑑賞できる作品の幅がそこまで広くなく、多様な世界観をインプットする機会が少ないこと

●ダンスシーンの流行に左右されず、札幌から独特の作品が生まれる環境をつくること

の2点でした。


前者に関しては、鑑賞機会は全くなかったという訳ではなく、JCDNの「踊りに行くぜ!」札幌公演やコンカリーニョ・芸術の森などの劇場の独自企画で作品を観ることができましたが、とはいえ1年に数回というペースだったと思います。

後者に関しては「舞踏とはこういうもの」「コンテンポラリーダンスとはこういうもの」という価値観の枠を壊したかったということがあります。
率先して極端なコンセプトの作り方をすることで、札幌の人たちに自由に作品を作っていいという空気を感じてもらいたかったのです。

自分が開墾したつもりが、結局はまわりの人に開墾してもらっていたこと

ということで、それぞれのプロジェクトに対して熱い想いがあり、環境づくりのために未知の土地を開墾をしてきたという自覚はあったのですが・・・

改めて出演してくれた皆さんに聞いてみると、コンセプトや設定はこちらから投げかけるものの「やり方は教えてくれないんだな・・・」という気持ちになったという意見をいただき(苦笑)

確かに・・・
僕自身も開墾していましたが、皆さんにも「はい、では貴方はここからここまでを開墾してください」みたいな振り分けの仕方で、みんながそれぞれどうやって開墾するか考え、その開墾方法を持ち寄って結果に結びつけてきたという・・・

僕自身も毎回新しい土地に挑戦するものだから、開墾方法がわかっていないのですよね。
ただ社会的意義だけは強く感じているという。

なんというかそれって凄いことだな、よく通用したな、と改めて思いました。
素晴らしい方々に囲まれていたという訳ですね。

この場を借りて、皆さんいつもありがとうございました。
という話でした。