今回は演劇作品です
今回はダンス作品ではなく演劇作品です。
その辺はあまり気にせず気づいたことを書いていこうと思いますが。
本作は表紙にも抜擢されていますが、ダンサーの大森弥子さんが大事な役どころを任されています。
札幌では近年「コンテンポラリーダンス」と「演劇」が少しずつ交じりあうようになっており、それは非常に良い傾向であると思っています。
この前も書いた気がしますが、舞台芸術という括りでみれば両者に共通するものは多く、写実性と抽象性という意味でも、視覚と聴覚という意味でもお互いに補完しうる存在だと思います。
演劇とダンスのこだわるところの違い?
きっとろんどんは札幌の若手の劇団で、僕の知っているテクニカルや舞台芸術関係者からは「若手の中では面白い、しっかりしている」と評判が良く、興味を持って観劇させていただきました。
公演が始まって、まず気になったのがボリュームのバランス。
これまでの経験から演劇の人はダンスの人よりも音にこだわるなぁと感じていました。
逆に照明に関しては、ダンスほど明かりにこだわらないのだなぁ、とも。
視覚と聴覚、こだわる部分が逆なのでしょうか。
今回の発光体では、人によって声のボリュームの違いが大きく、これは敢えての演出なのかそうではないのかと考えていました。
また、役者さんによっては声を常に張り気味で緩急が生まれておらず、結果として力みが不自然さを生み違和感として残ったような、そしてその力みは身体にも伝染しているように感じ、さらには観客にも伝染してくるので観ていて少し疲れる部分がありました。
ダンサーの大森弥子さんは逆に弛緩は上手いのですが、緊張が弱いように感じました。
これはもちろん演出としての選択という可能性もあるのでしょうが、もう少し落差を出せた方が幅という意味ではでてくるのかな、と(演出的にほのぼのさせたかったのかもしれませんが)
そこで、りんのすけさん。
彼はダンスも演劇も両方やっていて、僕のダンス企画などにも何度か出演してもらったことがあります。
彼は役柄がハマっているということもあったのかもしれませんが表現が自然で、弛緩と緊張を上手く使い分けているように感じました。
もちろん彼本人がもともとナチュラルな人というのはあるかもしれませんが、もし彼がダンスも演劇も両方やっているから緊張と弛緩のバランスが良いということであれば、これはなかなか面白いと勝手に考えていました。
役者は力が入り気味。
ダンサーは緊張を爆発させるのが苦手。
もしこれが事実であるならば、もっともっと領域を超えあったらよいのか、それともそうじゃないのか。
そんなことを考えながら家路につきました。