人間とは何かに迫る80分の大作/OrganWorks「HOMO」

OrganWorksが形成する小さな社会

新型コロナウイルス感染拡大による非常事態宣言が迫る中、CONTEプロデューサーの森嶋も関わっているOrganWorksの公演がKAAT 神奈川芸術劇場で上演されました。

あともう少し遅い時期だったら公演は中止になっていたかもしれません。
開催できるかどうか本当にギリギリな状況で、ヒリヒリしながらの上演でした。


さて、OrganWorksというダンスカンパニーですが、この集団は小さな社会のような集団だと思っています。
このカンパニーのはじまりは、公演ごとに作品のイメージに沿ったダンサーを集めるプロジェクト形式で始まったのですが、身体性の共有を重要視して徐々にメンバーを固定するようになっていきました。



最初はどういう基準でメンバーを選んでいるのかイマイチわからなかったのですが、最近なるほど、ようやくわかってきました。
ダンサーはあえてバラバラな身体、背景、個性を持つ人を集めているのか、と。

厳密には各自の踊りの出自やテクニック、つまりは舞踊性は微妙に異なるのだけれども、身体性のニュアンスで揃える。
これによって個が浮き立ちながらも、集団として同じ方向性につき進もうとしているということがようやく理解できました。

前作の聖獣からカンパニーとしてのベクトルが明確になってきたからこそ、理解できたのかもしれません。

公演時間80分という大作

HOMOの上演時間は80分。

これだけの時間をひとつの作品で最初から最後まで構築できる振付家は、決して多くないです。
それも一部40分、休憩挟んで二部40分という上演スタイルではなく、80分ぶっ通しで一本の線を紡ぎ続けました。


平原慎太郎の振付家としての成熟と、カンパニーメンバーの成熟によってここまできたか、と。

平原作品では、言葉(セリフ)を使うことが多々ありましたが、本作では言語をよりプリミティブな(原初的な、原始的な)形に変換し、音や歌を用いていました。

これによって、より身体が物語るという行為が鮮明になったような気がします。



古代、現代、未来をひとつの箱庭に詰め込んで揺さぶって、そこで起きるヒト達の反応や意識変化を眺めるかのような作品となった「HOMO」

舞台上に散りばめられた半端ないフックや関係性など情報量の多さ、複数回観覧してもその都度新しい発見に出会えました。
舞台芸術ならではの手法、ダンス作品でしかありえない楽しみ方がこの作品には存在しています。

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