【感想】踊る『熊谷拓明』カンパニー「だンス劇春のTOUR」

【感想】踊る『熊谷拓明』カンパニー「だンス劇春のTOUR」

踊る『熊谷拓明』カンパニー「だンス劇春のTOUR」にお招きいただいたのですが、
これがとても素晴らしく、感銘を受けました。
何が良かったかというと、ダンスを見せるスタンスと、そのための工夫がとても良かったのです。



会場に行くと、演者でもある熊谷さんと池上さんが自ら出迎え、受付をされていて
この時点で、生活とダンスが地続きで流れていくかのように場が始まっていきました。

ホール内に入ると、すでに出演者がそこにいて、観客を出迎えている。
時間になると熊谷さんが舞台上で話をはじめ、そこからふと、唐突にダンス劇が始まっていく。

この地続きの流れは、開演になってもそのままゆるりと続いていきますが
この流れが非常に自然体のようで、気持ちが良いのです。

札幌の4人のダンサーの再演作品から始まり、たんたんと4人の関係性が紡がれていきます。
そしてその作品の終わり際に、またもや熊谷さんが舞台に現れ、再び話し始めます。
踊りから喋りへ、その喋りはまた踊りへと止まることなく移行していきます。



僕が以前に見させていただいたダンス劇は、もう少しドラマっぽい作品で
どこか「伝えよう」という気持ちが、少しだけ見え隠れするような印象もありました。

と、いうのも、この業界はとにかく「伝わらない」業界です。
そもそも伝える必要もない、と思っている作家もたくさんいますし、
何かを伝えるためにやっているのではない、わからないところに面白さがある、と。

それは確かにそうで、それこそがこの業界の特徴や醍醐味でもある訳です。



とはいえ、作家によっては、もしくは作品のスタイルによっては、伝わって欲しいこともある。
なのだけれども、大衆を意識したような伝え方だと、うまくハマらない。

伝えたいは伝えたいんだけど、そういうはっきりとした伝え方じゃなくて、もっとモヤモヤと抱えているものだったり、湧き出るものや、零れ落ちていくもの、ふと浮き上がってくるもの。
そういったものが伝わるといいなって。

このさじ加減が難しい。
本当に、難しい。



個人的には熊谷さんのスタイルもそうだし、
他にも何人かの作家は、このジレンマのようなものを抱えがちなのでは、
と勝手に思ったりする訳ですが



そういった試行と挑戦、手ごたえと疑問の繰り返しの果てに、
ようやく到達されたのが、現在のこの熊谷さん独自のスタイルな気がして

それはこの公演のスタイルにも現れ、
パフォーマンスの見せ方にも現れ、
スタッフワークや仕組みにも現れ、

「公演」と呼ぶ必要すらもないような
ある種の「ダンス劇なひととき」を提供している

そんな印象を抱きました。



カフェや飲食店などで、暮らしと地続きのパフォーマンスを行うこと。
受付だけではなく、照明や音響も自分たちだけでまかなうこと。
舞台効果に頼らない作品を仕上げることで、人と空間と時間との一期一会をより鮮明にすること。
ポストカードというモノを活用した、心のお土産を持ち帰ってもらうこと。


自分がなにをしたいのか、何を大事にしたいのか、ということに向き合ったうえでの
「商品力」
これは、実は多くのアーティストが、苦手としている力なのではないかと思います。

なんだかんだ、きれいごとやロマンを並べても、
現代の人の営みの基本は商いであり、
何を相手に提供できるのか、代わりに何を受け取るのか。

例えば、それが恐怖やスリルや怒りであっても良いわけですが、
それを自分の中で消化し、相手に手渡す商品として昇華していくことが大事なんでないかってことで
あえて、商品力って言葉を使ったんですけども。



熊谷さんの商品力は、助成金がないと厳しい劇場公演と違って持続可能だし、
賞だのメディアだの、派手な露出や評価とはあまり縁がないかもしれないけれど
人と人の縁を、目に見える範囲で紡いでいくことができる。


実はこのスタイルは、多くのローカルミュージシャンが実践している手法だと思うのですが
ダンス関係者でこういったローカルツアー式といいますか、こういうやり方は珍しいですよね。



開演前に流れていた、永積さんの歌声が影響していたのかどうか、
なんだか、両手に抱えられるだけの等身大のダンスを、
いや、日々の営みを見せてもらった気がして

ほっこりして帰ってきました。