自分が開墾するだけではなく、皆さんにも開墾してもらっていたこと/CONTE-SAPPORO振返り映像の制作現場より

CONTE-SAPPOROを振り返り中なのです

CONTE-SAPPORO Dance Centerとは何だったのか。

これをテーマにただいま振り返り映像を制作しておりまして、いろいろな方にインタビューをさせていただいております。

 

それで今日も撮影させてもらってきたのですが、お話を聞く中でいろいろな気づきがありました。
CONTEはかなりの猛スピードで前だけ見て走ってきたので、こうやって振り返ることで思い出すことが多々あったりもして。

ちなみに写真はたまたま発見して、これいい写真だなと思って貼らせていただいたのですが、前期はコミュニティーとして成立していたんだなと思ったり。
雪雄子さんの公演を開催したときの打ち上げの写真ですね。

自分が開拓して、周りの人に開墾してもらっていた

今日の気づきで面白かったのが、僕という人間はそもそもフロンティアスピリッツが強いといいますか、道なき道を行こうとする節があるのですね。
それで道ができて、村が出来上がったら「良かったですね」って言って、また違う道なき道を歩いていこうとするところがあるのです。

 

 

ストリートダンスをやっていた時代も、実家の車庫を改装させてもらってストリートダンス専門のスタジオを早い段階でやって(ガレージスタジオですね)、全盛期は23人くらいの講師の方にレッスンしてもらって(めちゃくちゃ多い!笑)。
スタジオといったらある程度広い場所を構える人が多かったと思うのですが、狭くてもできるんじゃないか!?みたいな発想で。

その中には未成年の先生とかもガンガンいて、いま考えたら法律的にとか税務的にいろいろ問題あった気がするのですが笑
それをある程度やりきったら満足して、今度はイベントをオーガナイズする方にまわって。